スペイン語学習のススメ

スペイン語を楽しく学習していくうえでロジック、方法、コツ、習慣、テーマといったものを紹介していきたいと思います。スペイン語学習をススメ、サポートするブログです!スペイン語オンラインクラスも始めました!ご興味のある方は、次メールまでお気軽にご連絡ください♪   speingomexico@gmail.com

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きっかけ

bola

 

あの時。サッカーを本当に必死にやっていた。 

小学校から、いや正確に言うと、幼稚園からサッカーをはじめ、中学、高校とサッカーの強い学校ではなかったが、毎日のようにサッカーをした。子供のころは楽しくて楽しくて友達と毎日サッカーした。

 

 

中学にはいると一転してなかなか思うようにいかないことばかりだった、リフティングはなぜか1000回、2000回めざしてしてやっていた、その目標をクリアしたこともよくあった。が大会が始まると1回戦は辛うじて勝っても、2、3回戦でいつも負けていたし、一番しっくりこなかったのは自分がうまくなっていうという実感がなかった。  

高校の時期は、自分で練習メニューを考えて皆でやっていた。バリエーションがなくていつも困っていた。ほかの仲間にも飽き飽きされていた気がする。部活動がない日は家のまわりを坂道ダッシュ1,2時間本気で走っていた、筋力トレーニングも毎日のようにしていたが、子供のころ感じていたサッカーの楽しさは完全に忘れていたような気がする。  

大学は一念発起して、某サッカー強豪大学の体育会サッカー部に入部したものものの、レギュラーになる道は程遠かった。それでも続けた。単純に大学のサッカー部に所属してサッカーを自分よりもうまいと感じられる人たちと毎日毎日ボールを蹴るということがうれしかった。それらサッカーの日々は、サッカーの調子が良ければ機嫌がよかったし、サッカーがうまくいかないときは、憂鬱だった。サッカーへの思いは、当時人一倍強かったと自負している。練習では、試合にでるために、監督、コーチにがむしゃらに指示や忠告に従ってサッカーをしていた、ランニングトレーニングでは叫んで走ったりしてとにかくアピールしコーチ監督の目に留まることを考えた。ハードに追い込んだ。筋トレもベンチプレス、スクワット、ショルダー、レッグカール、デッドリフト、カーフレイズ、腹筋、背筋。。。と練習時間の半分以上は体力トレーニングを本気で時間もエネルギーも費やしてた気がする。幸いチームは関東リーグ1部昇格を果たした。しかしサッカー選手としては華々しい結果、成果を残せなかった。  

その後大学、子供たちの指導にも携わった。しかし、心のどこかに煮え切れないものがあり、そしてそのどこか燃焼しきれない思いとともに2002年日本を出た。  

  

27才だった。肉体労働に明け暮れている日々だった。毎週のように友達集めて酒ばかりのんでいた。 

  

が、他の国のサッカーに触れてみたかった。 

  

アメリカ、ロスアンゼルスからヒッチハイクで下って行った。サンディエゴ、ティファナ、ロサリート、サンビセンテ、エンセナーダ、サンイグナシオ、ロレート、ラパス。海沿いの公園、ビーチ、バスケット場、ストリートと本当にいたるところで毎日のようにミニゲームにまぜてもらって、サッカーしながら南下した。まぜてよって頼んだらすぐに入れてくれた。英語もスペイン語もあまり話せなくてもサッカーが言葉になった。サンビセンテでは一緒にロスから旅してきたサーファー君に別れを告げた。サンイグナシオでは野犬に石を投げつけ、ラパスのビーチで凍えながらクリスマスを迎え、翌朝は海でリフレッシュした。真冬なのに、水は昼近くになると暖かくなっていた。そして2003年をメキシコシティで迎えようとフェリーにのった。  

  

メキシコについて、サッカーのうまい選手、アマチュア、プロ両方見ておもった、「彼らはこれと言って何も特別なことをしていない。」と。でも、明らかにグラウンドに立つとうまい。これが本当の旅の始まりだった。  

  

逆をとってみると、何もしていない彼らが、「日常的に生活の一部としている」ことがある、しているとういか、どちらかいうと「感じている」ということだろうか。それは生活として空気のように存在している。彼らはそれを呼吸をするように吸う吐くということを何百回何千回何百億万回と繰り返してる。それはその場所に住むものだけが感じている、朝起き、仕事をし、学校に行き、人と接し、喧嘩をし、怒り、愛し、怒り、食べ、遊び、寝るというその全体の奥にそれは潜んでんいる、と今になると言える。  

  

それが違いだった、そしてそれがきっかけだった。